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腸閉塞再発

どうもお腹の病気と縁が切れないようで、10歳の頃に再度、腸閉塞になりました。

子供のころから大人なみの量を食べていたので、お腹の病気になるのはある意味、必然と言えたかも知れません。
また、幼児の時の盲腸炎⇒腸閉塞の影響というか後遺症が残っていたみたいで、食べすぎては便秘になり、親に浣腸されるということを繰り返していました。
また、食べ過ぎては吐きということも度々で、病気になるのは時間の問題だったような気がします。

そのときも、便秘が続いたと思ったら腹痛が走り、かかりつけの医院に行くと、またも大病院へ紹介されました。
そして、すぐにレントゲン。
診断の結果は腸閉塞。
急いで手術する必要があるということで、翌日にはもう手術ということになりました。
つまり、もう2、3日も放置していたら、手遅れになる可能性さえあったということです。
後のことになりますが、私の祖父は腸閉塞で死にました。
腹痛も、あまり軽視はできないということを申し上げておきます。

手術前の準備として行った採血のときには、相当に痛い思いをしました。 
若い看護婦さんがやってくれたのですが、子供の血管です。 
しかも幼時の度重なる入院のため、運動が苦手だった当時の私は腕も細く、同年代の子供と比べても血管はさらに細かったと思います。 
看護婦さんは注射針を食い込ませた後、ピストンを引いて血を吸い上げようとしますが、血管に針が入っていなかったらしく、血はシリンジ内に入ってきません。 
焦った看護婦さんは、血管を探して針の先端をグリグリ動かします。 
その度に腕には激痛が走りますが、針で刺されているわけですから動くに動けません。 
看護婦さんは最初は「血管が細くてねー。」などと余裕で話しかけてましたが、うまくいかない状態が続くと、だんだんとその声も悲痛なものに変わり、「ごめんねー、ごめんねー。」と繰り返しながら、必死で血管を探ります。 
5分ぐらいそうやっていたでしょうか。 
ついに婦長さんらしき年配の看護婦さんがやってきて、やめるよういいます。 
その看護婦さんは針を抜くと、後ろに下がり、替わった年配の看護婦さんは一瞬で注射針を刺すと、あっという間に血管に入れ、すぐに血を吸い上げました。 
その後ろでは最初に担当した看護婦さんが泣き崩れ、同僚の看護婦さん達が、「子供の血管は細いからね。」などと慰めていました。 
だけど、痛い思いをした自分には何にも言ってこないのはなんともおかしいと、子供心に感じました。
今ならシミュレーターなどもあって、十分なトレーニングもできるのでしょうが、当時は実地で経験を積むしかなかったのでしょう。
経験の浅い看護婦さんに、難しい仕事をやらせたのもどうかと、今から振り返ると思います。

手術そのものは全身麻酔ということもあり、記憶にありません。
気がつくと病室に戻されていて、点滴のビンがぶら下がり、結構な痛みがあったのは覚えています。
場所が悪かったのか、相当大っぴらに切っていただきまして、その手術痕は盲腸炎のそれの比ではないです。
へそから性器のすぐ上までズッパリ切られていました。 
これも、当然のように今もお腹を這っております。 
病変部位がはっきりしなかったのでしょうか、腸を引っ張り出して、後で押し戻すということをやったらしいです。



そんな大きな切開をやったためか、術後、しばらくは寝たきりの生活でした。
食事もしばらく取れなくて、まずはオナラを出せということになりました。
結局2日ぐらいで無事、オナラが出まして、一応、手術は成功ということになったようです。
オナラも喜ばれる場合があるんですね。(^_^;)
その後は流動食になり、一週間後には抜糸となりました。

手術後はしばらく鎮痛剤の世話になりました。 
私の場合は、手術翌日はほぼ終日、鎮痛剤の効いた状態で過ごしましたが、二日目からは夜、寝る時以外は鎮痛剤を打ちませんでした。 
使いすぎると中毒になること、いったん中毒になるとつらい思いをすることになることなどを聞き、鎮痛剤に対する恐怖心から、使うのを極力避けるようにしていました。 
看護婦さんらは私がほとんど鎮痛剤を求めないのに感心していました。 
大の大人でも鎮痛剤を頻繁に求め、濫用を恐れて止められることもしばしばあるというのに、10歳の子供がその痛みに耐えているということに。 
私にとっては、中毒になってしまうのと、痛みに耐えるのを天秤にかけて、より望ましい選択をしたまでのことでした。 
痛みに耐えるのに、漫画などを必死で読んで、なるべく意識をそらす努力をしたり、それ相応の努力はしましたけど。 
やっぱり痛いのは痛かったです。 とっても。
脂汗を流しながら耐えたりしているのを、看護婦さんたちは見ているわけではないですから。

抜糸の日。
この抜糸が結構痛くって喚いていたところ、担当医が不精ひげぼうぼうだったこともあって、看護婦さんから「もし痛かったら先生のひげを抜いていいよ。」といわれた私は、そのことだけを頼りに痛みに耐えました。
術後すぐの痛みに匹敵する痛さだったように記憶してます。
抜糸も終わり、痛みから開放された私は当然のように、不精ひげ抜き権の行使を求めましたが、医者はにべもなく拒否。 
看護婦さんの言葉を聞いていたはずなのに。 
医者の小ずるさをこのとき、肌身で知りました。(-.-)
その後も経過は順調で、2週間後には退院できました。

ただ、この後、いろいろな後遺症が出ました。
まずひとつ、とんでもない腹痛が走るようになったこと。 
もう全く動けなくなって、脂汗を流しながら耐えるしかないような、そんな腹痛が数分間続くということが頻繁に起こりました。
無理やり押し込まれた?腸が、十分に機能していなくって、痛みという形で出ていたのか、腸が本来あるべき位置へ戻ろうとした時の痛みなのか。
これは経験者でないとわからないと思います。
このときの痛みの体験があったから、後の尿管結石なども、結構耐えられたというのもありますけど・・・。
もうひとつは、ひどい便秘とひどい下痢が交互にくるようになったこと。 
便秘の周期と下痢の周期が頻繁に訪れるようになりました。
ひどいときは、出口近くは便秘で固い便が大量に居座っているのに、上のほうが下痢で、グルグルいいながら便を押し出そうとする。 
でも下のほうで詰まっているので、強い腹痛に苦しむ、という経験も頻繁にしました。 
ちょっと水を飲みすぎたりすると、もう下痢するような、過敏な体質にもなってしまいました。
腸を引っ張り出してこねくり返し、つぎはぎしたために、腸の機能が十分に戻っておらず、このような状態が続いたのではないかと思います。
急性腎炎の影響か、同年代の子供の2倍から3倍ぐらいの水を飲むようになっていた私は、とてもつらい思いをしました。
水を飲み過ぎては腹を壊し、それが便秘の周期の時は死ぬほどの苦しさを味わうこと、度々でした。
この体質は結局、20代半ばまで続き、その後は折に触れ、弱い症状が出るという程度で収まっています。 

その時は切迫していたために手術をしたわけですが、体を切るということは、その後、後々まで少なからぬ影響が出るということを、身を以って経験しました。
私の場合は幼時の頃に盲腸炎⇒腸閉塞を経験したにも関わらず、その後も大人並みの量を食べていたのが腸閉塞につながりました。
今から考えると、この暴食には霊的な影響もあったように思います。
そのことはいずれ項を改めて、SPIRITUALの一項として書くこととします。
暴飲暴食は慎みましょう、というのを「締め」にしていいものかどうか・・・。


(17.11)
(最終更新 20.05.11)


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