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| フラフラ病 |
他の病気は、痛風にしろ、腎臓の痛みにしろ、何とか我慢できたり、時期がくれば治ったりで日常生活への影響はないのですが、こいつには相当苦しめられてます。 同じような症状に苦しむ人にとって私の経過が少しでも助けになればとも思います。 37歳の秋、私は当時勤めていた会社の社長から懇請されて、社長の経営する別会社に移り、新規事業の立ち上げに参画することになりました。 サイト運営事業ということでしたが、私のほかは、コンピュータさえろくすっぽ使えない、50も半ばを過ぎた、団塊世代の産業廃棄物のようなオッサンが二人。 しかも、そのうちの一人が持ちこんだ企画に社長が乗ってのものということでした。 この男、ある業界で異例の出世を果たしたといいますが、すぐに会社を追い出され、環境関連の機械を開発するといって億単位の資金を集めた挙句、ほとんど使い物にならないモノを作って帳尻合わせをして畳んだといいます。 本人は韓国にダマされたといっていますが、そもそもそんなところと組むところにセンスのなさが露呈しています。 元部下を引っ張り込んで、資金がなくなったと言って部下の貯金を「自発的に」差し出させたこともあったと本人から聞きました。 その後はアチラコチラの会社に入りこんでは追い出され、ということを繰り返していたらしき人物です。 いっしょに仕事をするようになってからしばらくすると、元の会社の同僚を名乗る人物から、借金の督促の電話が頻繁にかかるようになりました。(^_^;) もう一人は、社長の元を出たり入ったりしてる、使えない人間です。 その半年前に、過去に起こした問題が原因で私の勤めていた会社を辞め、ヤクザに追い回されながら自己破産をしたような人間です。 そんな人間を拾ってくる社長も、廃品回収業かと思うぐらい廃物利用が好きなお人ではありました。 どうも、普通に人材を得るのは不可能と考え、問題のある人物を、短所に目をつぶって長所を生かすという考えで会社を運営していたようです。 ある時期までなら、そういう方法もあるでしょうが、一定の成功を得た後はやはり、有為の人材を得ることを考えないといけません。 その会社も、廃品回収されたスクラップで一杯で、ふんぞり返る人間は多いけれど、地道に仕事をやる人間は皆無でした。 私は、その内情を知っていたので、社長の求めを断り続けていました。 しかし、別会社の運営が先行き困難な状況になり、社長の求めも悲痛さを帯びて来ました。 そして決定的な事件が起こり、社長からはどうしてもやってくれと、懇請されるような状態でした。 普通なら、これは絶対不可能と考えて、さっさと辞めて他の口を探すところですが、社長に何かと目をかけられ、いろいろと勉強させてもらったという思いもあり、困難を承知でその仕事をやることになりました。 始めてみると案の定、ほとんどというか、すべての仕事が私に覆い被さってきました。 他の二人はというと、日がな一日遊んでいます。 カチンときましたが、最初からその程度は折り込み済みではあったし、自分一人でも仕事をやり切る自信はあったので、抗議もせずに必死に仕事をしました。 移った先の人間からは、嫉妬心からでしょう、非協力どころか、敵視さえされました。 保険加入さえ、入ってから半月以上も経ち、いらだった私が問い質してやっと嫌そうに出してくる始末。 PCはすぐにハングアップしてしまうような代物が回ってくるし、空調の温風が後頭部に突き刺さるような席に置かれるしで、ちょっと記憶に無いぐらい、ひどい環境で仕事をしました。 抗議をしても、事務所内を仕切っていた社長の娘婿は、これまた私への嫉妬心から、まともに取り合ってくれません。 そんな中でも必死に仕事をし、ある企業との提携話も持ち上がり、月に2、3度はその会社に出張ということになりました。 何度目かの出張からの帰り、車で高速道路を走行中に突然それは起こりました。 急に遠近感がなくなり、同時にひどい浮遊感が起こり、自分の走っている位置がわからなくなりました。 120km/hほどで走行車線を走行中のことです。 しかも、左側はインターチェンジの出口渋滞で車が連なっている状態でしたので、路肩に止めることも出来ません。 同時に位置感覚も希薄になり、自分の走っている位置も定かでなくなってきました。 隣には、Wオッサンのうちの片割れがすやすやと眠っていましたが、車を止めることもままならない状況ではまったく使い物になりません。 パニックになりました。 叫び出したい衝動に耐え、まずはスピードを落としました。 しかしながら、交通量の多い状況で、走行車線上では低速走行も危険だと判断し、やむなく90km/h程度までスピードを上げ、渋滞の車とは出来るだけ離れて走りました。 右の追い越し斜線では40km/h以上の速度差で車が抜いていく状況で、パニック衝動は高まってきます。 渋滞車がなくなるであろうインターチェンジまでは、まだ10km以上もありました。 やむなく、隣で寝ていたダメ親父1号を起こし、自分の身に起きたことを説明し、車を運転する準備をするようにいいました。 ダメ親父1号は、寝ぼけていたのか、あまりパニくることもなく、いてくれたのが救いです。 隣で人がスタンバイしてくれていることで、精神的な負荷が減ったためか、インターチェンジまで何事もなく走ることが出来、結局、次のPAで運転を代わりました。 運転を交代してもらった後も眼鏡をかけ、前を見ましたが、浮遊感は変わりません。結局、自宅に帰り着くまで浮遊感にさいなまれたままでした。 私はかなりの近視で、かつ、左右の視力にばらつきがあり(右0.05、左0.3)、眼鏡をかけると結像の大きさが異なるために、元から遠近がとりにくいという傾向はありました。 それで、視力の低下により、レンズが合わなくなって遠近が取れなくなったり、浮遊感に襲われたりするのではないかと考え、レンズを交換してみましたが症状は変わりません。 次に、肩こりから視神経などが圧迫されているのではないかと考え、強烈な肩こりを治してもらって以来、世話になっている整体師のところへ行き、症状を訴えました。 整体師は首をかしげながらも首を中心に丹念に矯正を行ってくれ、その後数日はほとんど浮遊感にさいなまれることもなく過ごすことが出来ました。 が、しばらくするとにわかに症状が復活し、つらい思いにさいなまれるようになりました。 その後も九州への出張があり、車で長距離を走る機会がありましたが、不思議に一人で乗っているときは症状も軽く、何とか運転が出来ました。 人を乗せて走る精神的なプレッシャーがなかったからでしょうか。 ただし、人を乗せると、どうにもダメで、一般道では何とか運転できても、高速道では位置感覚と遠近感の喪失がひどいので、90km/hほどで走る大型トラックなどの後ろにぴったりつき、ボンネットとトラックの相対位置から距離を測るなんてことをやって、どうにか運転していました。 眼鏡のレンズを換えても効果なく、整体も一時的な効果しかなかったため、私は熟考の末、脳血栓なり、脳梗塞なりの可能性を考え、脳外科にかかりました。 医師は丁寧に話を聞いてくれ、CTスキャンで脳を輪切りにすることを提案し、私も同意して撮りましたが、その結果は異常なしでした。 医師は、恐らくストレスのせいではないかといい、なるべくストレスをためないようにと宣して診察を終わりました。 私は途方にくれました。 医者に行っても原因がつかめないでは、治す手段がありません。 とはいえ、腎臓の痛み然り、肩こり然りで、私が苦しんできた病気は医師の手で治ったためしがないのですから、今回も、医療に頼ったのが間違いだったのだろうと思い、整体でだましだましやっていくことにしました。 ただ、ストレスといわれれば、団塊世代の産廃と共に、というか仕事を押し付けられながら日々過ごしている私は、確かに強烈なストレス下にいたわけで、その点は思い当たります。 医師のいうことも幾分かは当たっているとも思いました。 その後、症状はだんだんと悪化していき、その内に階段を下りるのがつらくなりました。 遠近感、平衡感の喪失のため、手すりにつかまれる状態でなければ、階段が降りられなくなり、階段を降りるスピードも、一歩一歩踏みしめないと降りられないため、極端に遅くなってしまいました。 道を歩いていても、わずかに蛇行するようになってしまいました。 極端に平衡感がなくなっていたのです。 不思議なことに、酔った状態では、症状はひどくならず、階段を降りるのもかえって素面のときよりスムーズにできたぐらいです。 また、左腕と左脚の感覚が鈍くなり、そのことから骨格の異常を疑った私は、ひどくなったら整体治療でしのぐようにしておりました。 脳外科医にかかってから数ヶ月後、会社の業績が思わしくなくなり、ついに人員整理をすることになり、私も解雇の対象になってしまいました。 別会社で実績を上げ、社長に懇請されて今の会社に移ってきて仕事をしていた私に、解雇はないだろうとは思いましたが、使えない人間たちと一緒にいるのが嫌であったのと、企画を持ち込み、私の上司となった人間が勝手に暴走し、失敗をするほうにするほうに仕事を進めた挙句、到底できないまでに吊り上がった投資額に上層部が嫌気がさしてか、事業が棚上げにされてしまい、仕事がなくなってしまったこともあり、抗議もせず、仕事を辞めました。 しかもこの上司、タチの悪いことに、交際費の出費を全て私の財布から引っ張り出していながら、全く返そうとせず、その額は数万円になっていて、退職の日、領収証を渡して返還を求めましたが、口では返す返すと言いながら、何ヶ月たっても返すことは無く、さらに、退職した日に飲んだ飲み代まで私に持たせてきました。 それもすぐに返すようにという意味で領収証を取り、手渡しましたが、なんにも音沙汰はありませんでした。 この上司といい、産廃男といい、クズとは仕事をしてはいけないという、いい教訓になりました。 社長やクズ上司は、私の力を借りようと、会社を辞めた後も私に連絡を入れて、自分の抱えている問題に対して力を貸してくれるように要請してきましたが、さすがにあきれていた私はすべて突っぱね、彼らとの縁も切れました。 会社を辞めた後も浮遊感や遠近感の喪失はひどかったため、結局、その後1年ほどは勤めもせずにぶらぶらして、たまに神社参拝をしたり、遊びに行ったりしていました。 再度、病院にかかることも考えました。 知人からメニエール病の事を聞き、かなり自分の症状に似ていると思ったときは医師に対する不信を振り払って耳鼻科に行こうかとも考えました。 しかし、整体治療で一時的に軽快することからメニエールとは違うという気がして、結局行きませんでした。 痛風で数年間通っていた医師にも相談してみましたが、整体治療のくだりで首を傾げます。 結局、病院にかかっても検査を無駄にするだけと思い、病院に行くことはあきらめました。 一年が過ぎたところで所持金も残り少なくなり、就職を図ろうと、数社に応募しましたが、片っ端から落ちたため、どうにも暮らせなくなり、やむなく実家に転げ込みました。 実家に帰って、とりあえず、食い詰める恐れだけはなくなりましたが、やはりふらつきは治らないので、仕方なくぶらぶらしながら回復を待つことにしました。 近くで評判のいい整体師にかかってみたりもしましたが、やはり、一時だけよくなり、数日で元に戻るという状態だったので、そこからも足が遠のきました。 霊能者のところに行ったりしたのもこの時期です。 そのうちに所持金がいよいよなくなり、働かなければならないというときになって、派遣会社から仕事の紹介があり、そこで働き始めることにしました。 働き始めて数日後、またしても浮遊感とめまいに襲われ、派遣会社に退職を申し入れましたが、通院の事実がないと退職は認められないといわれ、やむなく病院に行くことにしました。 病院に行くにあたって診療科目の選択にずいぶん悩みました。 表面に現れている症状を見ると、耳鼻科あるいは脳外科なのですが、整体治療で軽快することから考えると、骨格の異常が考えられ、整形外科にかかるほうがよさそうです。 煩悶した挙句、結局、整形外科を受診することにし、個人病院で評判のいいところに行きました。 これが正解でした。 1日、仕事の休みを取り、その病院に行くと、評判がいいだけあって、すごい混雑でした。 2時間ほど待たされた挙句、やっと診察の順番が回ってきて、診察室に入りました。 院長は中年の温厚そうな医師でした。 といっても私より年下だったのが後に判明しましたが。 腎臓の痛みや痛風、度々の転居などで多くの医師と向き合い、医師に対する眼の肥えてる私は、一目見て安心感を覚えました。 できない医師、たちの悪い医師は自分の無能を隠すためか、判でついたように尊大な態度をとりますが、この人はそのような態度とは無縁でした。 自分の症状を、起こり初めからかいつまんで話すと、医師はやはり首をひねります。 とりあえず、検査をするということになり、首のレントゲンを撮ることになりました。 撮影の後、さらに30分ほど待たされて診察室に入ると、またも医師が首をひねります。 特に悪いところはないというのです。 ただ1ヶ所、頚椎の5番6番の間が少し異常が認められるが、問題となるほどではないといいます。 今後の治療方針として、リハビリを試すこと。 それと、原因の消し込みのために、脳外科と耳鼻科を受診するように勧められました。 私もそれに同意し、近くの総合病院への紹介状を書いてもらい、受診した後、再度、診察するということになりました。 数日後、紹介を受けた総合病院へ行くと、外来の診療時間外であるにもかかわらず、脳外科に受診することができました。 診察室に入ると、医師は先に提出してあった紹介状に目を通し、症状についての問診を行った後、すでにCTスキャンを経験しているが、MRIは受けていない旨を言うと、MRIを受けることを勧めてきました。 それに同意すると、即座に検査の手配をしてくれ、すぐに検査を受けることができるようになりました。 ここの医師も評判がよいということを聞いていただけあって、仕事が速いです。 仕事の速さというのは業種に関係なく、仕事のできる人間に共通するものだと思います。 検査室に向かうと、すぐに検査ということで、検査着に着替え、技師に促されるままに検査台に横たわりました。 かなりの音がするということで耳栓を渡され、体が動いてはいけないということで、全身をバンドで固定され、頭までも完全固定されました。 これだけでも、かなりのストレスです。 次に、ベッドごと、トンネル状の検査装置内に入れられました。 閉所恐怖症の人間にとっては、悪夢のような狭さです。 私も眼を開けているのに耐えられず、目を閉じ、それでもパニックになりそうだったため、般若心経を唱えたり、他事を考えたりと必死に意識をそらす努力をしました。 装置が始動すると、言われたとおりの轟音が耳を聾します。 パニックの衝動が高まり、何度か体を動かして検査を中止させたい衝動に駆られ、それを抑えるのに大きなエネルギーを要しました。 精神の葛藤にさいなまれ、やがて、パニック衝動も薄らぎ、時間の感覚も薄れてきたころ、忽然と音がやみ、検査が終わりました。 服を着替え、しばらく待っていると、直に写真ができあがり、それを持って再び診察室に戻りました。 医師は写真を見て、脳内に問題となるところは見当たらないといいました。 続いて、痛覚の検査、眼球反射の検査などを行った後、徐に立つように言われました。 足をそろえ、気を付けの姿勢をとると、次に、そのままの姿勢で目をつぶるように言われました。 言われたようにすると、体がふらつくのが自分でもわかります。 目を開けるように言われ、再び着席すると、医師は、頚椎から脊椎にかけて問題があるといいました。 先ほどの検査で、ロンベルグ徴候が見られ、下肢の情報が脳に伝わっていないといいます。 目をつぶった状態では視覚情報によって体を制御することができないので、下肢からの情報に頼ることになり、そこで揺動が見られたので、下肢からの情報を伝える通り道となる脊椎から頚椎にかけてのどこかに神経の干渉があるということでした。 異常の所見を返書にしたためてもらい、さらに、耳鼻科への紹介状も書いてくれました。 これまで悩んできた症状の原因がこの医師によって、やっと認められたので、それだけでも医師に感謝したい気分でした。 さらに日を改めて、今度は耳鼻科に受診しました。 総合病院はどこもそうなのでしょうが、ここもひどく待たされました。 2時間ほど待った挙句、診察室に入ると、先に耳の検査を受けました。 ヘッドフォンをつけ、左右の耳に弱い音を流して徐々にボリュームを上げ、聞こえた時点で知らせるという検査を、音の周波数をさまざまに変えて行いました。 次に、仰臥しての血圧測定、立ちあがっての血圧測定、そのまま十分間立ちつづけた後で血圧測定を行いました。 いったん外に出、さらにしばらく待たされてから診察室に入ると、医師は、紹介状を見ながら、耳には異常ないこと、自律神経失調症の疑いがあることを言いました。 仰臥時と起立時の血圧に20以上の差があるということです。 診察を終わり、医師は紹介状の返書を書くからということで、診察室外で待たされましたが、あたりには誰もおらず、そのうちに、診察室の窓口も閉まってしまい、それでもしばらく待ちましたが、何も音沙汰ないので、不手際にあきれながら、その病院を後にしました。 最初に受診した整形外科に戻ると、医師はしばらく考えた後、「リハビリでもやってみますか?」といい、わたしは、”でも”という表現に引っかかりながらも同意し、リハビリを受けました。 首の牽引、ハイドロとか称する水圧によるマッサージベッド、マッサージ師による短時間のマッサージからなるプログラムです。 最初に施術を終え、帰宅するとき、ちょっとした驚きがありました。 乱視のためか、普段は、夜間だと信号灯が10数個見えるのですが、それが3、4個に減っていました。 乱視も首から来ているのかと疑いを持ちました。 その後、無事に仕事も辞めることができ、週3日程度のペースでリハビリに通い、片道5km以上は苦しかった車の運転も、何とか30km程度は運転できるようになりました。 ただ、そこから先がなかなかよくならないので、経過を見て、医師に相談を持ちかけようかと考えているところです。 フラフラ病体験記のリスト フラフラ病 ←現在のページ フラフラ病その2 フラフラ病その3 フラフラ病その4 フラフラ病その5 (17.11) (最終更新 20.05.30) 医療保険の検討なら、その場で各社の保険料が見られる保険モール アットローンにまかせろ 人と関わる仕事全てに役に立つ心理カウンセラーという資格。 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