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気の障壁・気の触手

少林寺拳法にハマりこんだ私は、10cmパンチのほかにもうひとつ熱中したことがあった。
“気”を使うことである。

当時、熱狂的に流行っていた漫画、「北斗の拳」。
その登場人物たちが自在に操る気。
それに憧れたということもある。
あるとき、先輩部員が、後ろから飛んでくるボールに対し、当たる寸前でスッと振り向き、ボールを止めて見せたこともあった。
“気”を自由に操ることにより、人の気配を察知したり、闘気を量ったり、逆にこちらの“気”を消すことによって存在を感知させにくくしたりすることができるということに興味を持ったということもある。

いつからか、“気”の訓練をするようになった。
歩いている時、講義を受けている時など、時と場所を選ばず、“気”を研ぎ澄まし、周りに何人いるか、後ろに人がいるかどうか、いるとしたらどれぐらい離れているか、などを察知する努力を続けた。

1年ぐらい修練していると、後方に人がいるかいないかぐらいは判別がつくようになった。
人がいるかいないかを量る時、気を触手のように伸ばし、その触手で感知するような感覚で“気”を探る。
人がいると思われる時は、気当たりが違う。
さらに、自分に気を向けているかどうかも、何となく判別できる時がままあった。

振り向いた時に、思わず人にぶつかるということがほとんどなくなった。(ま、たまにはあったけど・・・)
後方、どの方向に人がいるかということをかなりの確率で当てることができるようになった。
そして、よそ見をしていても、前方の障害物を無意識のうちに回避するようになった。
いってみれば、気の障壁、気のバリアみたいなものができているように。

こうやって“気”をある程度使えるようになってきた時、おかしなことが起こるようになった。
人がいないにも関わらず、人の気配を感じることが度々あった。
夜、歩いていると、明らかに気配があるのに、人がいないということも起こるようになった。
何かと考える。
“気”の感知能力を上げたために、生きている人間ばかりか、死んだ人間の気まで感知するようになってしまったらしいと気付くのに、さして時間はかからなかった。
それに気付いてからは、気を磨くことを控えるようになったが、霊の気配を察知してしまうのは止まらなかった。

そして、この能力ゆえに、先祖たちに引っ張られるようになり、スピリチュアルの世界に入りこんでしまうようになったのではないかと思えるようになった。
そう考えると、少林寺拳法の修練は、霊的な能力を高めるのに役立ったのではないかとも思えてくる。
僧侶の間で発展した拳法を再構築したとされる少林寺拳法。
スピリチュアルな修練の方法として考えると、ハマりすぎるほどにハマっている。
そして、その霊的な感知能力のお陰で、後に頻発する心霊現象に苦しめられることになった。
(スピリチュアル体験のページへ)

(19.05.19)
(最終更新 19.09.10)


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