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少林寺拳法は強いのか弱いのか?

少林寺拳法は強いのか弱いのか。

このサイトにも「少林寺拳法」というキーワードでの来訪があります。
けれど、少なくないのが、それに「弱い」というキーワード付で検索されるパターン。
そんなはずはねーだろと思ってネットで見てみると、結構心無い書き込みが多いようで、暗澹となっちゃいました。
さらに、現在の少林寺は乱捕り(空手でいう自由組手)廃止なんていうことになっているみたいで・・・。
ま、実際は運用法なんて名前を変えて細々やっているみたいですけど。

国立の一流大学(たぶん)の少林寺拳法部に在籍していた私ですけど、少林寺は決して弱くないと思います。
ただし、その強さは他の格闘技同様、個人の才能と努力に大きく左右されるし、少林寺拳法は昇段・昇級審査に乱捕り(空手でいう自由組手)の審査がない分、強さにバラツキがより出やすいとはいえるだろうと思います。

私のいた少林寺拳法部で言いますと、顧問の先生はかつて乱捕りの全国大会があったころ、全国で○番(○は明らかにしません、けど楽勝に1ケタ)になったぐらい強かったそうで、講話のときには先生から実践的な技の運用を教わったりしました。
たとえば、今全盛の総合格闘技でよく見られるようなタックル。
立ち技系の格闘技はこれに対応できないとか言われてますけど、この先生にかかると・・・。
突っ込んでくる相手の頭頂の急所にひじを合わせるだけ。
相手の突進力がそのまま跳ね返って、実験台となったヤツは相当痛がってました。
みんなあっけにとられてました。
そういう先生に指導されていたので、自然と技は洗練されていきます。

先輩部員はというと・・・。
上の方にはヤ○○狩りとかいって盛り場に行ってバトルしまくってた先輩(方)もいたし、実戦空手と少林寺を掛け持ちしてやっていて、大学入学を機に、少林寺一本でやっていた先輩もいたし。
本山合宿のときに、乱捕り指導の先生を本気にさせてもかわし続けたというような先輩もいました。
こういう先輩たちの乱捕りの強さというと・・・。
体格の差もあって、茶帯当時から黒帯の先輩たちを圧倒していた私でしたが、彼らにかかると子供扱い。
絶対本気でやってもらえなかったし、本気でやられたら逃げるのが精一杯。
強い人はいるんだということを身をもって教えてくれました・・・。

とはいえ、私個人は、茶帯の当時から、黒帯の半分くらいは圧倒できていたのも事実。
同級生にも何人かそんな連中がいましたし。
乱捕りの強さと段位とは比例しないともいえます。
さすがに2段クラスとなると、茶帯時代の私では簡単には勝てませんでしたけど・・・。

少林寺拳法の昇段システムは、といっても大学でやったのが中心の私は3段位までしか知りませんが、強さの追求よりも、修行の進捗度を重視するように思われます。
そもそも相手を圧倒し、撃破することに少林寺拳法の主眼は置かれていません。
争いになっても負けなければよいという考え方でもあります。
実際、争いになったらどうかというと、金的蹴りや目打ちを基本技術として茶帯のときから修練しているわけですから、舞い上がったり臆したりしなければ、そんなに負けることはないと思います。
金的や目を狙うのを卑怯という人間は、実際に喧嘩をやったことがない人間か、子供の喧嘩レベルで済んでいた人でしょう。
そこら辺にあるもんでぶっ叩いて勝つのがクリーンで、金的蹴りがダーティなんていえないと思いますけど。
それに、金的蹴りはともかく、目打ちは「目突き」と違い、払うように打つことで、相手のダメージを最小にするように配慮して、実戦でも使用できる技になっていますし。
高段者になると仏骨攻めという技も習うそうです。
仏骨とは喉仏の骨のこと。
社会人になって習ったときの師匠は、絡んできた男を、その仏骨攻めで文字通りふっ飛ばしたそうです。
かように、少林寺拳法には怖い技があるので、ある程度修行をした人間なら、そうそう遅れをとるということは考えにくいとは思います。

・・・余談は措くとして、2段くらいまでの昇段・昇級審査では、私のやっていた約20年前の話になりますが、規定の出席を満たし、所定の技をしっかり、正しく使えて、学科試験に通れば段位や級がもらえました。
柔道のように乱捕りで勝ち抜きとかの条件がないので、段位=強さの証明というものではないということはいえます。
もう少し言い換えると、強さの質がそろうものではないということです。
より個人の資質や練習の内容が反映されるシステムと言い換えてもいいかもしれません。

技術的な面から(といっても2段位までしか取ったことのない私ですので、はなはだ稚拙ではありますけど)少林寺拳法を見るとどうか。
たとえば、回し蹴りに対する受けの払い受け。
少林寺拳法の場合は、単純に受けるだけではありません。
足首のすぐ上にある急所を切り上げるようにして受けることで、相手にダメージを与えつつ、自分はダメージを受けないような受け方をします。
実際、フルパワーで回し蹴りを蹴っても、キレイに払い受けで受けられると、しばらく足は使い物になりませんし、受けられた瞬間に萎えるので、受けを押し込むなんて無理です。
だから、ある程度非力であっても受けられる技だといえます。
他にも、内受けなどでも急所を打つような受け方をしますし、急所を打たなくても、攻撃の方向をそらすように受ける技法がありますので、パワーに頼らずとも受けられるということになります。

攻撃はというと。
基本的に攻撃はほとんど急所を狙います。
前述の金的蹴り、目打ちは言うに及びませんが、上段中段はそれぞれ狙うべき急所があり、そこを打つ練習を反復して行います。
上段はさすがに当てられませんが、中段は、結構フルパワーで当てます。
・・・胴着を。
胴着を少し出しておき(といっても体との距離は10cmもなし)、その胴着を蹴るのです。
最初は結構怖いですし、初心者のうちはなかなか正確に蹴られるものでもないですが、帯の色が黒に変わるころには、みな普通にやってました。
ま、たまーにボディに入ることもありますが、皆さん、ちょっと怒るぐらいで許してくれますし・・・。
帯の色が黒に変わってからは、三分止めとか五分止めとかで実際に当てたりもしてました。
もちろん、ムカツク相手のときは七分止めとか八分止めとかに勝手にしてましたけどね。(^.^;
当て方もキッチリ指導されます。
たとえば水月など、打ち上げるように打たないと効かないということで、どう打つかを反復します。
そして防具をつけて実際に打ってみたり。
防具をつけた相手を打つと、実際にどれだけ威力があるのか、蹴り方は正しいか、体重が乗っているかどうかが如実にわかります。
それで修正し、また防具なしの練習で反復していくのです。

そして乱捕り。
今では運用法というらしいですが、柔道でも乱捕りといいますし、私の習った当時も乱捕りと言ってましたので、乱捕りで通します。
乱捕りで、習った技法を実戦で使えるように落とし込んでいくのです。
私はこれが楽しみで。(´∀`)
初心者のうちは動きもままならないですが、まあ、闘争本能の赴くままに皆さんやっています。
これが乱捕りを重ね、攻防の呼吸がわかっていくにつれ、だんだんと少林寺の技を揮えるようになっていきます。
この乱捕りをやるかどうか、そしてどれだけの頻度でやり、どう成長していくかが巷間言われる「強さ」のカギになると思います。
乱捕りをやり始めの頃は、最初はみんな闘争本能の赴くままにやっているのですから、言ってみりゃー、闘争本能の強い人間、喧嘩の強い人間の方が強いです。
でも、技を実戦に落とし込むことができるようになると、闘争本能だけでは立ち行かなくなり、キチンと技の揮える人間の方が有利になっていきます。

ただ、乱捕りで事故が度々起こったこともあり、私が習った当時の少林寺拳法では、乱捕りを教える体系というものはなかったため、この成長度も個人の資質に左右されるところが大だと感じました。
だから、成長の早い人間と遅い人間に差が出てくるというのはどうしてもあったように思います。
また、黒帯が必ず茶帯以下を圧倒できるかというと、そのようなことはなく、センスのある人間が黒帯を翻弄するということもまま起こりうるわけです。
ですが、乱捕りも数をこなし、技を実戦に落とし込むことができるようになってくると、しっかり練習を重ねていて技が身についている人間の方が有利になり、素人に毛の生えたような人間では簡単には勝てなくなっていきます。

少林寺の技は、タイミングをつかんで行う技がことに多いです。
なので、このタイミングを実戦の中でつかむのにはけっこう時間がかかるように思います。
もちろん、通常の練習の中でもある程度対応を練習はするのですが、やはり、蹴りが出るか突きが来るかわからない乱捕りで、瞬時に対応できるようになるのにはある程度の修練が必要であるように思います。
さらにタックルだの凶器攻撃だのが入ってくるような街中の喧嘩となると、通常の練習に加えて乱捕りも豊富にこなしていないと技を実戦に使うまでの対応は難しいかもしれません。
何年もやっていれば突き蹴りの威力は半端なものでなくなっていくので、それでも基礎的な格闘能力だけをとっても素人相手に負けることは考えにくいですけど。
体自体を凶器のように鍛え上げることをしないこと、そして技の性質から考えると、少林寺拳法は、少々練習した程度では、実戦の中で強さが出にくい格闘技なのかとも思います。

しかし、才能ある人間にとってはこれほど面白い格闘技もないと思います。
ほとんどの技は防御主体で構成されているため、防御的な格闘技と思われるかもしれませんが、その組み立てを変えるときわめて攻撃的な格闘技にも変身します。
技を連続的に行うことを想定した体さばきができるので、非常にスピーディに動けるのです。
突き蹴りもバリエーションが豊富にあり、受けも豊富にあるので、攻防の選択の幅が広いというのは大きなメリットであると思います。
突き蹴りは柔軟に行うことができ、反力をいなしながら連続的に行うことができるので、連続技のスピードが非常に早くなります。
連撃は早い段階から練習します。
つまり、単撃の運用でなく、連撃を早い段階から想定して練習するような体系になっているということです。
ステップワーク、少林寺では運歩法といいますが、豊富に技法があり、これを習得すれば、進退は自在になります。
運歩法には、横方向や斜め方向に動く歩法が多いのも特徴です。
つまり、相手との攻防で自在に間合いや体捌きを行えるように整理されているのです。
これに習熟すれば、裏を取るのも容易にできるようになるわけです。
この意味は、格闘技をやった人間ならわかるかと思います。
もちろん、使いこなすのには修練と、何よりも才能が必要とされるのでしょうが。
逆に考えれば、修練と才能に欠ければ、なかなかに使いこなすのが難しいのが小林寺拳法であるとも言えます。

究極的に考えると、どの格闘技が強い弱いというのは無意味です。
強さというのは、最終的には個人の才能と努力に収斂されるからです。
ある格闘技に天才が出現すれば、当代最高の格闘技は、その天才が出現した格闘技ということになります。
現代においても過去においても、そして未来においてもそうでしょうが、その天才が出現し、名を成す過程においては、他の格闘技との交流があることでしょう。
そして、その個人に適合するように技を工夫することも起こります。
逆説的にいえば、それらのことがなくして天才は生まれないともいえます。
体格や才能の発露の方向を生かして個人の才能が最大限に発揮できるように技を改良していく作業がなければ、天才は生まれないと思うのです。
金科玉条のごとく技を覚え、それを墨守するだけでは、才能の発露はありえないと思うからです。
少林寺拳法に、「守・破・離」という言葉があります。
最初は技を教わった通りしっかり覚え、身に付けるが、やがてそれを打破し、自分に合った形にし、最初に教わったものから離れ、技を完全に自分のものとしていく過程を言い表した言葉です。
少林寺拳法に限らず、このような過程を経ることがなければ、天才も、そして達人も生まれてこないのではないでしょうか。

さて、表題の「少林寺拳法は強いのか弱いのか」という問いに対する答えはどうなるか。
「実戦で」という前置きが付くと、練習体系によってはかなり分が悪いかもしれません。
乱捕りをしっかりやって、実戦での運用をしっかりやっていなければ、不覚を取ることもあるかもしれません。
ネットを縦覧すると、乱捕りをほとんどやらないようなところもあるようなので、そういった面を捉えれば、少林寺は弱いという誹謗を受けても仕方がないかとは思います。
むろん、乱捕りもしっかりやってるようなところなら、遅れをとることはないと思いますけど。
「格闘技として」という前置きについては、決してそんなことはないというのが私の見解です。
強くなるための技術体系としてみた場合は、かなり魅力的なのではないかとも思われます。
もちろん、そのためには相当の修練が必要になるのはいうまでもないことですが。

で、その少林寺拳法にはどんな技があるのかというのに興味があろうかと思いますが、それを簡単にわかりやすくアニメーションで表現したサイトを見つけたので、紹介しておきます。
技法解説拳生会(東大少林寺拳法部OB会)
さすが東大です、やることがCOOL。


(19.12.18 加筆)
(19.11.21)

レーシック(近視・遠視・乱視を治す視力回復手術)の体験談


  
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