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【 マスメディア時代の終わり。】

【 マスメディア時代の終わり。】



TVを1日にどれぐらい見るか。

私はほとんど見ない。

飲食関連の勉強のためにグルメ番組を3つほど見るのと、ローカルのバラエティ、サッカー番組くらいのもので、ローテ入りしてるのは7つぐらいか。

他の時間はほとんどWEB見てるか、サイトのコンテンツ作ってるか、本読んでるかで、TVを付けてる時間は1日1時間を余裕で切る。

そもそも最近のTVは面白くない。

お笑い芸人か、年食ったり落ち目になって仕事のない俳優をかき集めてバカ騒ぎする番組か、底の浅いドラマか、ニュースやバラエティぐらいしかバリエーションがなくなってきたように感じる。

硬派な番組は視聴率が取れなくて、安く面白くというのでバラエティのような番組や、視聴率重視の学芸会ドラマが増えてるんだろうけど、いかんせん面白くない。

バカ笑いするにはそれでもいいかもしれないけど、10分、15分も見続けているとふっと気づく。

こんなことで時間を使っていていいのだろうかと。

たまに最後まで見続けてしまったときはさらに悲惨だ。

何も残らなかったことに気付いて、時間を無駄にした悔いが長く続く。

こんなのが文明の進化した姿だろうか。



ニュースにしたところで、今のニュースはほとんどニュースじゃない。

朝方ネットに流れたニュースを夜に真剣な顔でキャスターやアナウンサーが流す。

電波メディアは速さが魅力だったのに、今やネットに負けるわけだ。

しかも掘り下げが浅かったり、偏向フィルターがかかったりで、得られる情報は良質とはいいがたい。

エラソーにしてるコメンテーターの吐くコメントの内容の浅さ、曲がりっぷりに呆れることもしばしばだったりする。

TVにでてる「学識経験者」のコメントよりも、名もないサイトやブログのコメントの方が深く、印象的なのはなぜかな。

昼間に書き込みしてるのなんて、「識者」から見たらどーしよーもないニートなんだろうけど、そのどーしよーもないニートに洞察力で負けてたりするわけだ。


ドラマだって低レベル化は著しい。

「キムタク」が客寄せパンダになってプロパガンダやるというので、研究対象として見た「CHANGE」は作りの安っぽさが目に付くし。

人物描写が浅くて、それぞれのキャラや行動に必然性が感じられない。

行動が、キャラが、ワケわからんで終始するんだよね、そしてそういう色付けのモティベーションがないから?で終わってしまう。

考えない人にとってはナゾー!で感嘆符でも付ければ、そして漢字でなくカタカナ書きで表現すれば済むだろうけど、小説とか読み慣れてる人にとっては面白くないだろうね。

キャラ形成と行動合理性がないから。

だから、物語に奥行きが感じられず、展開の速さばっかりが目に付く。

めまぐるしく動かしたスピード感を目くらましにしてるんだろうけど、マトモに見たい人にとっては分けのわかんないものになってる。

場面のカットがほぼマンガの手法になってるのよね。

マンガ世代にはその方が訴求するという判断なのか、流行なのかは知らないが、これがまた安っぽさに拍車を掛ける。

公式サイトのコメ欄には、それでもコイズミ支持層とバッティングする連中の賛美コメントがビッシリだから、当初の目的は果たしてはいるようだけど。



こうやって考えると、TVを作ってる連中のレベルと見る側のレベル、それぞれがすごーく下がって、それが相乗効果的に効いて今の状況が現出されているんだろうという気がする。

20年くらい前かな、フジが「面白くなければテレビじゃない!」なんてぶち上げて、それがうまくいって視聴率取りまくった。

これで各局も面白路線を追求するようになり出して、一方では経費削減のために安いゼニで下請けに番組制作を任せてる。

TV業界の構成人たちが退化するのとTV業界がタイトになるのとが相乗効果になって、質的劣化が進んだという面があるように思う。



一方で社会もバブル崩壊以後、ギスギスしっぱなしだから、せめてTVでは笑いたいというのもあるだろうし。

肉体的、精神的に打たれまくってる人はシリアスな番組なんか求めないというのはあるし。



あと一つの要素は教育か。

簡単になる一方のコンテンツ、激化する一方の受験競争、それについてけない生徒や受験技術ばかりに長けた生徒が長じたとき、どういうことに興味を持つだろうかと考えると、文化や芸術、高いレベルの教養を求めるかということがある。

本当は生活レベルが上がれば文化・芸術・教養に対する欲求も要求も高くなるはずなんだが、日本においてはそう見えないところの根は、こんなところに求められるのかもしれない。



TVがつまらなくなる一方なら、他のメディアも負けてないか。

新聞メディアはついこの間、毎日がトンでもないことを長い年月にわたってやらかしていたことが発覚したし、新聞自体、押し紙みたいなことをやらないとやってけない状態が長い年月にわたって続いてる。

最近は広告出稿が減ってどこも苦しくなっているということだし。

記事の内容を見ても、社説とか、本来はそのメディアの顔となるべき記事でレベルの低いモノが増えた。

新聞しか読まない人はそれでもありがたがって読むかもしれないが、ネットで情報を縦横に仕入れてると、社説の生地が幼稚に見えてきて仕方がない。

まあ、自由に意見を披瀝できるネットメディアと、広告主や大株主、卑近なところでは上司や経営陣の顔色を伺いながら書く記事とでは、制約のレベルが違いすぎるとも言えるけど。

でも、この辺りに新聞をはじめとする紙メディアがつまらなくなった理由が求められるような気がする。

新聞や週刊誌では大広告主の批判記事なんか絶対書けないけど、ネットなら比較的自由に書ける。

必然的に紙メディアの記事は当たり障りなく、無難にまとめられていくということになり、そんな仕事ばっかしてる記者も知的劣化していくということになる。

文化や教養を軽んじる風潮が紙メディアの質的劣化を加速したという側面もあるだろうし。



逆に、即時性と掘り下げの深さを求めなければ、現在のところ、紙メディアは依然として有力なメディアであるともいえる。

多くの情報を縦覧し、広く浅く知識を求めるには、依然として有効なメディアであるとは言える。

しかし、ニュースサイトが続々誕生し、ポータルサイトがニュースサイト的機能を装備しているのを見ると、今後、紙メディアもその存在意義を加速度的に減じていくことが予想される。

PCやケータイの機能や表示画面サイズや表示技術、WEBサイトの構築技術は進歩する一方、紙メディアは旧態依然として進歩の余地が少ないことを考えると、10年を経ずして劇的な変化が起こりそうな気がする。

そうはさせじとプロパガンダもやってるようだが、(9割が「子に読ませたい」…新聞メディア価値調査(ZAKZAK))有効性は疑問。



そうやって考えていくと、今のメディアの劣化というのは、淘汰の前の現象ということもできる。

中国などに見られる王朝交代のように。

質的に劣化が進むと、反比例的に策新の機運が広がる。

ある臨界点を超えると、劇的に交代が進むようになる。

今のマスメディアの劣化ぶりは、その交代を促しているようにも思える。



新聞の起源は巷間流布しているニュースを紙面にまとめて配ったことから始まっている。

同報性、縦覧性が要求されても、即時性は要求されなかったわけだ。

ネットの発達で、速報力についてはマスメディアはすでにネットに敗北している。

タームの掘り下げの深度でも、さまざまなフィルターの問題や紙面、時間などの物理的制約によってネットに敗北している。

今後、マスメディアはこれまでもっていた機能の一部、あるいは多くを自ら放棄しないと生き残れないだろう。

それでも、ネットの進化に伴ってますます衰退するだろうけれど。

自らまいた種なので、既存マスメディアが衰退しようが、高給に胡坐をかいていた社員連中が路頭に迷おうが、まったく同情しないけど。

逆に、巨大メディアが破綻でもしない限り、メディアの再生はないような気もしている。


(20.07.15)
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