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般若心経〜霊を祓い、清める力を持つ経典

別項で般若心経について少し触れておりますが、冷やかしで心霊体験のページを見た人が、低級霊に取り憑かれるなどしても困るので、その対策として、これは一項目として立てておこうと考えて書きます。

心霊現象に悩み、フラフラ病に悩んでいたころ、相次いで二人の方と会いました。
その経緯はそれぞれ別項(「ある人との出会い」「守護霊を知る」)にありますので、それを参照していただくとして、その二人の方から勧めていただいたのが般若心経です。 

霊覚者の方からは祝詞を詠むことを勧められ、以前から古神道に親しみを覚えていたこともあり、禊祓いの詞と大祓いの詞を読むことを2ヶ月ほど続けていました。 
しかし、大祓いの詞の中にある忌み言葉がどうしても違和感があり、あるときから止めてしまっていました。
そんな折にお会いした霊能者の方からは、祝詞は雑霊を祓うだけなのに対し、般若心経は祓うだけでなく、霊に諭し、清めてあげる効果があると聞き、早速やってみる気になりました。 
後から考えると、霊覚者の方からも般若心経を勧められていたなー、と思い出します。 
その方は私の心の中を読み、そのときの私には祝詞を詠むことを勧めたほうが受け入れやすいと判断したのではないかと、今になって思います。 
とまれ、二人の方から勧められたために仏教に対する拒否反応も薄らぎ、般若心経を唱える整合性もついたため、早速やることにしました。

霊能者の方から教わった方法は、般若心経1000回を50日間で詠むようにということでした。
千回行というのだそうです。 
経本は、父の葬儀のときに菩提寺の住職から頂いたパンフレットのような、ピラピラの活字体のものを使用しました。 
読みやすくて助かりました。 
母も、その霊能者に勧められて般若心経を詠んでいた時期があるということで、高僧が詠んだテープも出てきました。 
テープを数回聞いて練習し、その翌日から早速始めました。 
1000÷50=20・・・日に20回ですが、霊能者の方からは21回と聞いたように思うので、日に21回詠むことにしました。

さすがに21回連続詠唱というのはとっても疲れるので、朝・昼・夜と3回に分けて詠唱することとしました。
恐らく、21回という数字も、朝・昼・夜に各7回ずつというところから出てきたものと思われます。
なので、そのことを意識しながら、7回ずつ詠唱するようにしました。
それでも、夜11時ぐらいになって、詠み忘れに気付いたときは、慌てて21連発、というのも数日ありました。 相当にキツかったです。(*_*) 
半分トランス状態だったかも。(^_^;)
 
詠み始めたころは、さすがに詰まります。 
詰まりの原因を考えるうち、どこで切るのかがよくわからないというのが大きな原因だとわかりました。 
テープの誦経は大勢でやっているので切りどころがわかりません。 
母は適当なところで切ればいいといいますが、潔癖症の完璧主義者の私としてはそれでは気持ち悪いと感じ、思い切って、経本にしるしを入れることにしました。 
意味の固まりごとに小さくしるしを入れ、なるべくそこで切るようにしました。 
通算100回ほどで、息継ぎが安定するようになりました。 
 
通算200回を超えるころ、だんだん、「詠む」スピードに「読む」スピードが追いつかなくなってきました。 
また詰まるようになってきました。 
その辺りから本格的に暗記をはじめ、通算400回になるころにはほぼ、暗記してしまっていました。 
覚えは悪くとも、数を重ねれば覚えることは出来るという好例です。(~_~;)
 
通算600回ぐらいで、経本は完全に必要としなくなり、以後、目を閉じて詠唱することが多くなりました。 
詠唱するときは、特に言葉を思い浮かべる必要もなく、最初でトチらなければ、ひとりでに経の文句が紡ぎ出されます。 
この辺はなんとも不思議です。 
ただ、私の場合は、同時に、できる限り、今詠んでいる部分の文字を脳裏に思い浮かべる努力は常にしていました。 
文字にも大きな意味があると考えているからです。 
音→文字という想起パターンが、逆の文字→音のパターンが通常だと思われるだけに、なんとも不思議ではあります。
 
通算1000回を達成した時は、なんともいえない気持ちでした。 
さほど強い達成感はなく、ああ、終わったというのが感想といえば、感想だったのを覚えています。 
長いような短いような50日間でした。
 
そのまま止めてしまってもよかったのかも知れませんが、せっかく覚えた般若心経を、すぐに忘れてしまってはもったいないと、今もほぼ毎日詠唱しています。 
般若心経がかなり気に入ったということもあります。
  


その効果ですが、あるときから全くといっていいほど、心霊現象が起こらなくなりました。 
体を揺すったり、性的いたずらを受けたり、とかくにぎやかだった浮遊霊?のいたずらもめっきり起こらなくなりました。
たまに、周りの空気がおかしいと感じるときなどは、すかさず般若心経を詠みます。 
これで気配を感じなくなるから不思議です。 
夢の中で妙なものが出て来たり、ストーリーがおかしかったりして夜中に目が覚めたとき、すなわち霊夢のようなものを見た時、そんなときも般若心経を詠みます。 
これで朝までスッキリ眠ることができます。 
ほんと、頓服並みの効果です。(^。^) 
私にとって、本当に頼りになるお経となりました。 
けれど、フラフラ病にはあんまり効かなかったと思います。(-.-)

詠み方ですが、テープを数回聞いただけでエイヤでやりだした私は結構詠み方の癖が付いてしまいました。
通算数十回のころ、再度誦経テープを聞いてみると、私とかなり違う詠み方でした。 
というか、私が外れているのか。(~_~;) 
でも、オッケーとしました。 
直すのも面倒だし、詠むことに意義があると信じて今もマイスタイル(?)を貫いています。 
それと、文字を思い浮かべることはなるべくやっております。 
「空即是色」、「色即是空」、「色不異空」、「空不異色」といった具合にです。 
音だけでは取りづらい言葉の意味を、文字を思い浮かべることによってより強く捉え、その意味の理解を、私の意識を通じて周囲にいるであろう、不成仏霊たちに伝えてあげられれば、そして、成仏し、本来の霊が住むべき世界に行く手助けになれば、という思いから行っています。
ついでにいうと、私の場合、詠むときの音程も日々違うのですが、全く気にせず詠んでます。 
詠んでいるときも、いろんなことを思い浮かべながら詠むことが多いです。 
何せ、口が自動的に経文を紡ぎ出し、紡ぎ出された経文から文字が浮かぶという感じで、誦経がほとんど自動化されているので、そんな芸当も可能なのです。 
私は誦経中に他所事を思うことを敢えて拒みません。 
誦経に集中し、それだけに囚われることのほうが問題が大きいと考えるからです。 
諸行無常といいますが、一つことに囚われる心の状態はあまり望ましいものではないと考えるからです。 
瞑想時なども、無念無想にはしません。
有念有想で支障なく、ただし、一つのことに囚われないようにします。
「無念夢想」でいようとすること自体が、それに心が囚われた状態を示していると考えるからです。 
これは、ある高僧のコメントから学びました。

般若心経は、霊界についても言及しています。
というか、これに関して述べているのが、般若心経の精髄であると思っています。
「色」という言葉、これは肉体を持つ我々が住む世界、現実界(だったかな)を現し、「空」とは意識界、いわゆる神仏の住む世界から一般の霊(ちょっと表現がおかしいですけど)が住む世界、さらにはいわゆる地獄までをも包含した世界をいいます。 
上に例記した言葉は現実界と意識界の相関を表した言葉だと捉えています。 
こういった捉え方をしていくと、一見、無味乾燥のように思われる般若心経の経文が非常にヴィヴィッドな、驚異に満ちた文言であることに気付いてきました。 
そうなると、経を読むのが面白くて堪らなくなります。 

仏教者でも、般若心経の解釈はうまくできていないような気がします。
それは「空」と「色」を正しく捉えていないからです。
「空」を実体のないものとし、「空即是色」、「色即是空」、「色不異空」、「空不異色」を、「空はすなわち色である」、「色は空に異ならない」などと読み、その解釈を図ろうとすれば、こじつけのようになるのは必然です。
空を実体のないものと捉えてしまっては、その後の文言の意味がまったくわからないでしょう。
意識界と現実界の関係を知っていれば、意識界はすなわち現実界(逆も真なり)、意識界は現実界と異なることはない、ということを言っていることが分かり、高いレベルの存在に明かされるこの世界の秘密が、あっさりと般若心経に書かれていることが分かります。
さらに、「諸法空相」以下の経文が、意識界の精髄を表していることにも容易に気付くことができます。
「不生不滅」「不垢不浄」「不増不減」「是故空中無色無受想行識」「無眼耳鼻舌身意」
というくだりが、意識界における生命の実相を表現しているということに気づくでしょう。
「無眼耳鼻舌身意」は、高いレベルにある意識体は、光の球のようになることを表しています。
だから、体の各パーツはないと言っているのです。
意識とは、究極のところ、光の球になるのですから。
このように、意識界の実相を詳らかにし、その上で、「遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 三世諸仏」 と、妙な考えは捨てて安定した心の境地である涅槃を希求し、三世(過去世・現世・来世の三世)(の体験)を通して仏と言われるような高いレベルの存在になれるようにと言っているのです。
「故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪」
このくだりで、特に私が注目しているのが、「是大神呪」という言葉です。
仏教の経典なのに、なぜ神が出てくるのか、この疑問を仏教者たちは十分に説明できているのでしょうか。
仏ホトケと言っている人は、この言葉を理解することは難しいかと思います。
般若といわれるほどの高いレベルに達すれば、宇宙の真理である「大神呪」(宇宙を統べる神の真理)と「大明呪」(神の光、大明の真理)を理解することができ、これが「無上」のものであり、「無等等」、等しいものはないと言っているのです。
「能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰」
この真理に達すれば、全ての苦は除かれ、これは真実で嘘はなく、般若波羅蜜多の真理を唱え、実践するように言っているのです。

般若心経は、全600巻という膨大さを誇る大般若経を、わずか266文字に要約したものです。
その266文字を使って説いているのが宇宙の真理、現実界と意識界の実相であるということです。
だからこそ、悪しき霊を祓うとともに清める力を持っていると言えます。
この般若心経の解説は、高橋信次さんの著書、「原説般若心経」に詳しく書かれています。
まだ読んでいない方は、ぜひ、一読を勧めます。 

このような般若心経の見方は、最初は、GLAという宗教団体の創始者、高橋信次さんか、その娘さんで後継者の高橋佳子さん、どちらだったかよく覚えていないのですが、いずれかの方の著作から学んだと記憶してます。
特に高橋信次さんからは大きな影響を受けました。
高橋信次さんは、「人間釈迦」「原説般若心経」など、仏教と釈迦について優れた著作を遺しておられます。
私は「人間釈迦」の第1巻を読み、そこに描かれたヴィヴィッドな釈迦の姿に驚愕した記憶があります。 
般若心経に触れるようになってから、「原説般若心経」を入手し、そこで初めて般若心経にどんなことが書かれているかを知りました。

  

高橋佳子さんは、中学生のころに上梓された「真創世記」以来、折に触れて著作を読んでいます。 
高橋信次さんの創始された宗教団体、GLAの現在の主催者で、信次さんの娘さんになります。 
別項に書いた人に誘われ、講演も2度ほど行きました。 
生で見た高橋佳子さんは何というか、透明感のあるといいましょうか、なんとなく現身(うつせみ)の方でないような印象があり、それと、大変に人間的魅力に溢れた方で、この方が会場から出てきた人との対話の中で、その人の抱えたカルマ(業)を過去や、場合によっては過去生にさかのぼってひも解いていき、その相手が涙にくれながら、新たな生を歩む誓いをされるのは感動的な光景でした。 
この方の著作は、初期のものはやや難解かと思われますが、近年、より多くの方に読んでもらうためか、平易になってきてますので、近年の著作がお勧めです。 
三宝出版という出版社からお二人の著作が出ています。
それと、私はGLAには加入していません。
団体としてのGLAには、私はどうも馴染めないところがありましたので、勧誘を受けながらも断りました。
従って、高橋信次さんや高橋佳子さんの著作を宣伝しても、(アフィリエイトの収益以外は)特に私の利害にはなりません。
誤解を受けても困るので、敢えて一言付け加えました。


般若心経についての私の体験を書きます。
今年(H18年)の冬、幼くして死んだ叔父の命日がありました。 
生きているほうの叔父は、例によって供養など全く関心なく、致し方なく私がすることにしました。 
前々日の夜。 
寝付こうとしたとき、祖父と、私や弟によく似た、4,5歳と思われる幼児が脳裏に現れました。 
叔父だと直感しました。 
感応を強くしようと努力します。 
祖父に手を引かれた叔父と見られる幼児は、浴衣のような着物を着ていてこちらを見ています。 
しばらくするうちにイメージは消えますが、その顔が脳裏に焼き付きました。 
そして命日。 
隣の祖母の家に行き、午前中に叔父を祀った祭壇に向かいます。 
母と相談し、祝詞を奏上し、その後に般若心経をあげることにしました。 
仏式から神式に祭祀の方法を変更しており、そのときはきちんとしたと母はいいますが、私はなんとなく、般若心経をあげてさし上げるのがいいと感じ、渋る母を説き伏せて般若心経もあげることにしました。 
禊祓いの詞をつつがなく奏上し終え、続いて般若心経の誦経に入ります。 
いくらも読まないうちに悲しみの感情が心に満ちてきました。 
誦経が続けられず、半ば泣き崩れながら、それでも経を唱えます。 
最初の誦経をやっとのことで終え、計3度、誦経を行いました。 
2度、3度と回を重ねるにつれ、心は平静になっていきました。 
恐らく叔父はまだ浮かばれてなかったのではないかと思いました。
 
叔父は終戦の直前に肺炎で亡くなりました。 
齢5歳。 
死の直前、「もうちょっと頑張ったら、お父さんが帰ってくるから。」と元気付けようとする祖母に、「あかん、ぼくが死ななんだらお父さん帰ってこん。」といったそうです。 
5歳の幼児がおかしなことをいうと、祖母の心にもその言葉が残っていたといいます。 
祖父は出征し、当時、九州の基地で勤務していました。 
叔父が死に瀕していたころ、祖父も米軍機の爆撃に遭い、何度ももう死んだと覚悟するような死線をさまよったそうです。 
結果として叔父は死に、祖父は生きたわけですが、私には、叔父は祖父の身代わりとなって死んだように思えてなりません。
その叔父が、祖母をはじめとする家族にあまり省みられることがなかったようで、特に私のところを選んで供養するように頼んできたのだろうと思っています。
般若心経を読んだ時の涙は、私が流したものというよりも、叔父の涙だったように思います。
その後、叔父が夢枕に立つことはないことから考えて、命日に行った供養を喜んでくれたのだと思っています。

般若心経を全ての人が必要とするとは思いません。 
ただ、心霊現象に悩む人、精神世界に心引かれる人にとっては、有用なものになると信じるので、甚だ不勉強ではありますが、実体験を交えて思うところを書きました。 
一助になれば幸いです。


(18.04.12)
(最終更新 19.09.04)



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