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| 霊能者と面談 |
管理人への問い合わせで結構あるのが霊能者を教えてくださいというもの。 その問い合わせに対しての答えが「霊に対抗するために」なのですが・・・。 私は、ある霊能者と面談し、除霊を勧める霊能者に対して、それを断り、自分で般若心経の誦経を中心とした対策で心霊現象と一応縁切りすることができました。 他力本願的に霊能者を求める人たちに対しては、ひとつの示唆になると思いますので、書いている時点からしばらく前にさかのぼりますが、そのときの体験を書こうと思います。 ある日、母が私に対して頼みごとをしてきた。 ある住所の地図を出してほしいというのだ。 そんなのはmapfanを使えば楽勝なので、スケールをいくつか変えた地図を渡した。 翌日。 母が使い捨てカメラを手に私を呼んだ。 私の写真を撮りたいらしい。 私は「写真を撮られると魂を抜かれる」と信じているタチなので(笑)、さんざ嫌がったが、スポンサーには逆らえない。 ついに「魂を抜かれる」ことになった。 しかし、母は妙なリクエストをする。 部屋のあちこちで私を立たせて写真を撮るのだ。 お見合いでもあるまいし、私はグラドルでもないので(・・・)、愚かしいことこの上なかったが、普段迷惑を掛けまくっているだけに、文句も言わずに従った。 十数枚も私のスナップを撮った後、今度は家のあちこちの写真を撮り出す母。 絶対におかしい。 先日の地図とこの写真撮影はリンクしているに違いないと思った私は、なぜなぜ攻撃で母を問い詰める。 最初はシラを切っていた母も地図の件を持ち出すと、程なく吐いた。 なんと、霊能者のところに相談に行っていたというのだ。 母の友達と二人して。 いっかな収まらない私の心霊現象とフラフラ病。 それに焦れた母が、以前に面談した霊能者とは別の霊能者の評判を聞きつけ、会いに行ったらしかった。 (面倒くさいことを・・・。) それを聞いたときの最初の思いはこれだった。 般若心経と出会わせてくれるなど、以前に会った霊能者に悪い印象を持たなかった私は、正直、他の霊能者に会う気はしなかった。 しかし、その霊能者に会いに行った母の気持ちを慮る(おもんばかる)と、無下にもできなかった。 なので、現像が出来次第、一緒に会いに行こうと言う母に対して、それでもしばらくは渋った後に承諾の返事をした。 数日後、写真が現像されてきた。 母と二人して写真をチェックしたが、どうということはなかった。 あれだけ心霊現象が頻発していたにしては、写真はキレイだった。(別にモデルが、といってるのではないので・・・自爆) ただ、光の加減か、光の玉のようなものが写っていた。 写真によっては十数個も。 それがオーブといわれる心霊現象であると知ったのは、霊能者と面談したときだった。 母が連絡を取り、写真ができてから程なく、車で小一時間ほどのところにある霊能者宅に面談に行くことになった。 もちろん、保護者同伴・・・。 当然のように母親の運転で向かうことになった。 私が運転すると、面談どころでなくなる可能性が高かったからだ。 当時はフラフラ病のおかげで5km以上運転するのが難しい体だったので仕方がないとはいえ、忸怩たる思いがあったのも事実。 しかし、クラッシュなどしては元も子もないし、(当時は)多大な緊張を強いられた運転で疲弊してしまっては長時間の面談に耐えられない。 霊能者宅は住宅地の中にある、ごく普通の住宅だった。 なにやら習い事の教師をしているらしく、どーんと看板が出ていて、駐車場がやや広めに取ってあるのが多少目を引く程度。 霊能者でございという風情は微塵もなかった。 玄関で来意を告げるとまもなく扉が開き、中に招じ入れられた。 どこといって特徴のない、普通の中年女性、といっては失礼かもしれないが、霊能者然としたところは、家の構え同様、感じられなかった。 居間(兼教室?)に通され、おもむろに面談が始まった。 彼女の第一声は 「この人だったら問題ないじゃない。どこでも働けるわよ。」 という(ニュアンスの)ものだった。 母はどうやら私のことを、詐病(←フラフラ病)の引きこもりとでも紹介していたらしい。 フツーは顔を見ればわかるというもの。 霊能者が母の吹き込みにもかかわらず、まともな評価をしてくれたのは、素直にうれしかった。 「でも、ここでは仕事はないわよね。大阪ぐらいに出ないと。」 と続ける。 ごもっとも、と激しく首肯した。 私もそれで(非常に)苦労していたからだ。 母親は自らの固定観念が崩されて、やや不服そうであった。 顔を見なくても波動でわかった。 「気」と言い換えてもいいけど。 どうも母は、私のことを低く低く見なしたがる。 これがその母親(=私の祖母)から受け継いだカルマとわかっていても、どうにも許せない部分ではある。 それゆえに低級先祖霊たちも私にたかりやすかったのだろうとは思う。 マイナスの意識はマイナスの意識を持つものを呼ぶ。 同類項の法則とも、盗人相身互いとも言うが。 霊能者は写真を持ってきたかどうか訊ねた。 母は、 「そんなにおかしいのは写らなかったんですけど・・・。」 といいながら、使い捨てカメラのリミットまで撮った写真を差し出した。 一枚一枚、丹念に見る霊能者。 おもむろに一枚を取り出して言った。 「この映りこんでいる光の玉。これはオーブといって、霊がこういう形で現れているのよ。やっぱりお宅には霊はいるようですね。」 といった。 私は思わず、 「これは光線の加減ではないのですか?」 と聞いたが、普通に撮ったらこのような光の玉は写り込まないと指摘され、自分でも再度観察して納得がいった。 そう言われてみると、いくつもの写真にオーブが写りこんでいる。 霊能者によれば、それらは浮遊霊程度のもので、それほど大きな問題はないという。 霊能者は私の写った写真を丹念に見続けている。 私に取り付いた憑依霊を探しているようだった。 「おかしいわねえ。私が見たら、大体の霊は出てくるものだけど。」 と独りごちる。 どうやら、私の憑依霊(?)はなかなか巧妙に姿を隠しているらしかった。 そのうちに霊能者は、一枚の写真を手に取り、振ったり、両手で挟み込んだりしだした。 彼女の念を送り込み、潜んでいる霊をあぶりだそうというものらしかった。 しばらく念を送る作業を続ける霊能者。 私たちは固唾を呑んで見つめていた。 すると、写真に変化が現れた。 私の胸の辺りに、うっすらと影が出来はじめた。 「出てきたようね。」 安堵とも、喜びともつかぬ声を上げる霊能者。 さらに念を送り込み、影はだんだんと濃く、そして明らかな形をとってきた。 その形は、見紛えようもなかった。 狐のシルエットそのものだった。 狐の霊? 動物霊に取り憑かれていると知るのは、これまで散々心霊現象を体験してきた私にとってもショッキングだった。 人間の霊だとばかり思っていたからだ。 しかも、狐となるとかなり厄介である。 古来の怪談や逸話にもあるとおり、そして神社の狛犬や稲荷信仰などにもあるとおり、狐の霊というのは特別な霊力をもった存在とされているからだ。 それが引っ付いているとなると容易なことではない。 私は、衝撃を受けながらも霊能者との面談を続けた。 母のほうは、さらに言葉もないようだった。 というか、一種のショック状態でいたようだ。 その写真を前に置き、家で頻発する心霊現象のこと、ほかの霊能者に相談に行ったこと、そして盛り塩を置いたり、私が般若心経を誦経しているが、それでも心霊現象がなかなか収まらないことなどを話した。 それに対して、霊能者は霊を祓うために、ある方法を勧めてきた。 それが線香を立てるというものだった。 別項、霊に対抗するために。 で紹介しているやり方である。 重複になるが、改めて書く。 霊能者によると、低級霊はお香の香りを嫌うということで、これを焚くことで、霊が居つきにくくなる効果があるということだった。 焚くお香としては、香りの少ないやつとか、煙の少ないやつ、香料の入っているようなのは避け、値は少々張っても良いもの、つまり、天然の香気が香るものがよいということだった。 線香を使わない私たちが、何がいいかと聞いたときに持ち出してきたのが「香樹林」という線香だった。
【伝統が薫るお線香】最上級白檀をふんだんに使用したお線香!香樹林 焚き方も少々特別なやり方を教わった。 塩を盛ったところに九本のお香を差し込んで焚くというもの。 塩を盛るのに、アルミ箔でできたカップ(よく弁当に使ってあるようなやつ)でも使ったらいいということで、私は実際にふちをきつく折り込んでカップを強くして、そこに塩をギュー詰めにしてさらに山盛りにし、それにお香を差して使った。 塩は使い回しができるということで、私も何回も使い回しした。 どれぐらいの期間というのは、特に明示されなかった。 別項 霊に対抗するために。には数日間を目処にと書いたが、実際は続けてもいいし、2〜3回でやめてもいいのだと思う。 霊を払うための方法として、次に霊能者が出してきたのは魔鏡だった。 これも、霊に対抗するために。に書いてあるもの。 ある高僧が除霊の念を封じ込んだというものだった。 魔鏡といってもごく小さなもので、ペンダントトップのようになっており、チェーンまでついているものだった。 大日如来の姿を裏に彫ってあり、表面は普通の鏡面でしかないが、太陽光を当てると、反射光の中に大日如来の姿が浮かび上がるというもの。 その霊能者と知人たちが、自分たちのためにごく少量作ったというものだった。 実際に戸外に出て、反射光の中に大日如来像が浮かび上がるのを確認もした。 そのために35,000円とかなり高額になったので、そんなに積極的には勧められないけれどといいながら、その効果をいろいろと話してくれた。 私自身は、そのようなグッズに頼るのは嫌いなタチなので、どうやって断ろうかと考えながら、一方では霊に対してどうやって対抗しようかと考えていた。 霊能者の話の接ぎ穂が少なくなってきたとき、断りの文句を口に出そうとした瞬間、 「それ、ひとつください。」 と母が申し出ていた。 (余計なことを。) と思ったが、正直言うと結構魅力を感じてもいたので、内心はホッとしたところもあったかもしれない。 代金を払い、私の手元に魔鏡が来たときに、そこはかとない安堵感も感じた。 この魔鏡は、効果はかなりのものがあった。 この魔鏡を枕元においていると、霊現象がピタリと止んだ。 木箱に入って渡されたのだが、効果を期待するなら、箱のふたを開けておくように言われた。 魔鏡の鏡の面が見えるようにしておくことで、除霊の効果があるということだった。 箱に入れて保管しておくだけではいけないという。 何度か、箱のふたを閉めて寝たときがあったが、そんなときは必ず心霊現象に遭った。 そうやってイタイ目にあった後は、魔鏡の箱のふたは開けっ放しにしておくようになった。 霊現象は、ゼロというわけにはいかなかったが、3日に一回ペースが2週間に一回になり、月に一回になり、という感じで徐々に減っていった。 ここ数ヶ月は、般若心経を誦経している効果か、この魔鏡がなくても霊現象に遭わないような気がしているけれど、少なくとも、購入して半年一年の間は非常に役に立ってくれたように思う。 神社に行くようになって以来、いささか軽視しがちだった仏教者の能力に対しても、再認識をさせられることになった。 高僧の通力というものも、凄いものがあるということを。 霊能者は、次に除霊はどうかといってきた。 これまでに何人も除霊してきたという。 彼女自身は霊が見えるわけではないようだが、今回、写真を持参したように、写真に霊を浮かび上がらせたりすることはできるようで、除霊のときは、蝋燭の炎を使って霊の存在を確かめるのだという。 霊を引っぺがすときは、被術者、すなわち除霊を受ける者は七転八倒することもあるという。 ちなみに、料金は魔鏡と同じくらいかかるということだった。 逡巡する私を見て、霊能者は 「恥ずかしがることはないのよ、誰でもそうなるのだから。」 といったが、私の思いは少々違っていた。 別に七転八倒するのが恥ずかしいわけではない。(たぶん・・・) そうまでして無理やり引っぺがしても、いや、無理やり引っぺがすからこそ、効果がないのではないかと考えたのだ。 霊憑依現象というのは、憑依される側にも受け皿が必要である。 意識の問題か、霊媒体質などの体質的な問題か、あるいは先祖からのものか。 これらの憑依される側の回路というか受け入れ口を閉じない限り、憑依霊の受け皿は存在し続けるわけで、何度でも同じことになるのではないかと思ったのだ。 私のこんな思いを知らない母は、どうも除霊を受けさせたいような素振りではあった。 しかし、魔鏡という霊物が手に入り、敵、というか憑依霊の存在もわかれば、後は自分で対抗し、受け皿をつぶしたほうがいいと考えた私は必要ないと考えた。 何度か必要ないと繰り返すと、母も、霊能者も除霊を勧めることはしなくなった。 私に霊や霊憑依現象に対する知識がなくて、闘争能力がなかったら、ズルズルと除霊を受けていたかもしれない。 除霊はうまくいったかもしれないし、うまくいかずに何度も繰り返すことになったかもしれない。 IF(もしも)のことはわからないけれど、今現在から振り返ってみると、除霊を断ったのは正しかったと確信している。 ここで除霊を依頼し、霊能者に頼るようになっていたら、何か起こったらすぐに霊能者に頼ろうとするだろう。 そんな依頼心の塊のような存在には、私はなりたくないと思うし、それが今の霊現象のほとんど起こらない状態をもたらしているとも思うのだ。 霊能者との面談は、それから程なくして終わった。 写真はすべて引き取ってもらい、霊能者が知り合いの寺で焚き上げてくれることになった。 3時間ほどの面談で、料金は、魔鏡の分は別にして、相談料自体は5000円ほどだった。 時間と、そしてもたらしてくれた情報から考えれば、安いのではなかろうかと思う。 その面から見れば、彼女も良心的な霊能者だという気がした。 除霊にしても、相談者からの要望からやってきたのではないかという気もするし。 ただ、私個人としては、除霊はどうにもする気がしなかった。 除霊というのは依頼心の発露から来るもので、相談者の霊的成長を促すものではないし、もしかすると、霊能者側にもあまりいいものをもたらすのものではないという気もする。 力ずくで引っぺがすわけだから、憑依霊の恨みを買うこともあろうし、少なくない金銭がやり取りされるのだから、霊性の問題も出てくるように思う。 この霊能者は能力もあり、そして巷間伝え聞く霊能者の風評と比べれば、かなり良心的ではあったと思う。 母は、その後も相談に行ったようだ。 あるとき、私のフラフラ病が左肩からきているという霊能者のメッセージを伝えてきた。 私も、それに思い当たることがあったので、その助言を受け、どうやって左肩をケアするかを考えていた。 フラフラ病 その4に書いた、母の知人が西式健康法のことを教えてくれたのは、それから後のことだった。 西式健康法に、霊能者からの助言を重ね、いろいろ考えた末に金魚運動をちょっと変えて左肩を緩めるような運動を加え、背腹運動とあわせてフラフラ病をかなり快復させることができた。 フラフラ病を回復させるのに、霊能者の助言も大きなヒントになったのだ。 そして魔鏡は、霊現象を防ぐのに大いに役立ってくれた。 線香を上げるのも、かなり効果的な方法だったし。 線香を上げると、気配が変わるのがわかる。 邪な気を払う効果があるというのを感じた。 魔鏡や相談料で相応の対価を払ったとしても、結果は出ているし、コストパフォーマンスはかなりいいとも思える。 私としては、霊能者に会い、助言をもらうのは別にかまわないと思うし、守護霊を知るでも書いたように、霊能者の助言でずいぶん助かってもいる。 だが、除霊ありきで霊能者に会うのはまったく勧められないし、女性誌などの広告によくあるような、自己の欲望をかなえようという類の霊能者に会い、何かをしてもらったりするのは以っての外(もってのほか)だと思う。 除霊で無理やり引っぺがしても、相談者側に憑依を容易にする霊的な回路ができている限り、何度でも憑依され、そのたびに除霊を依頼に行かなければならないと思うだろう。 自己の欲望をかなえるのに霊能者を使うというのは、言ってみれば自分から低級霊の憑依を受けに行くようなもの。 ひょっとしたら欲望はかなうかもしれないが、残りの人生はその欲望をかなえた(あるいはかなえられなかったが、そうするように動いた)霊的存在の思うように振り回されることになるだろう。 もちろん、死んだらその憑依霊の子分というか奴隷というか、追い使われる身として地獄行きである。 もうしばらくしたら、アセンションにより、地球には地獄は存在しなくなるようだから、未だ(現実界にも霊界にも)地獄がある星に行って、これまでのような喰い合い、叩き合いの人生を、自分が本当に悟るまで繰り返すことになるだろう。 個人の自由だから、私はあえて止めはしない。 だけど、そういったことを知らない人間には、少なくとも知る権利はあると思うから、この項を書いている。 霊能者を教えてくださいというメールが私の元に何度か来たことも、このサイトにUPする気のなかった、この項を書くモティベーションになった。 霊能者を教えてほしいという人にとっては、この項と霊に対抗するために。が示唆になることを願っている。 霊能者に指摘された、私に憑依している動物霊はどうしたか。 面談して以後、何日か考えた。 そして出した結論。 神社に引き取ってもらうのがいいと考えたのだ。 動物霊にとって、ヒトサマに憑依するほど霊力のある動物霊にとって、一番いい(霊としての)生き方は何か。 そう考えたとき、神様に使われる存在となるのが一番いいのではないかと考えたのだ。 そこで修行して、神様のために仕事をする。 それが動物霊にとっては一番いい(霊としての)生き方ではないかと考えた。 そう考えた時から祈った。 神社の神様に頼んでみるからそこに行くのがいいのではないかと。 自分の考えたことを想念に乗せて。 そして翌朝、早速近所の神社に行った。 その当時は、いっかな暮らしがよくならないのに腹を立て、神社にはしばらく行かないことにしていたので、まずはその不義理を詫び、これこれしかじかの経緯があると(心の中で)説明し、憑依している霊を神社においていただけないかとお願いしてきた。 その後は私自身は霊能者の元に行っていないから、どうなったかわからない。 その後に観想してみたとき、白い狐のイメージが得られたので、少なくとも浄化されているのではないかという気がしている。 その後は意識することもなかったが、この項を書いているときにズドンと来たので、ひょっとしたらまだ?と思い、観想してみる。 何か黒い獣のイメージが来る。 クロスチェックのために、神社に行って祈ってみた。 そこで来たイメージは、稲荷神社によくあるような白い狐のイメージであった。(ただし、顔はあんなに怖くない・・・) なので、そこら辺の浮遊霊が寄ってきただけだったのだと結論付けている。 今のところ、特別油揚げがほしいということもないので(^_^;)、深刻な憑依はないものと判断している。 憑依についても少し書いておくと、誰でも誰かしら、何かしらに憑依されることはある。 想念に同調する霊が寄ってきて、そばにピッタリ張り付くのが憑依といわれる状態である。 通常は、想念の変化とともに、しばらくしたら勝手に離れて行ってしまうもの。 問題は、長い期間、深く憑依されてしまっているかどうかである。 人格を支配されたり、悪感情を焚きつけられたり、そういったマイナスが起こるかどうかである。 思いがマイナスに流れることが多かったり、異常に悪感情が増幅されたり、といったことがなければ、特に気にする必要はないと思う。 マイナスの感情を普段から溜め込んでいる人間は、それだけ低級霊の憑依を受けやすいので要注意ではある。 人を呪わば穴二つ、とは、こういうことも同時に言っていると思う。 以上、私の体験を書きましたが、参考になれば幸いです。 (20.01.24) |
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