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| 神の役割、仏の座。 |
古神道の神と仏教の仏。 それぞれ違う役割を持って現れてきているように思います。 神=統べるもの 仏=救うもの というのが、私の捉え方です。 いつのころからか、頭に浮かんできました。 古神道の神は、多くは天皇や皇族として下生してきています。 そのことにも見られるように、この地球を統べる存在という気がします。 「統べる」といっても、支配−従属の関係を築くことではないです。 すべての魂が学びの場を与えられるように、そして光り輝くようにする環境を整えるのが、神が「統べる」ことの本質的な意味のようです。 仏は、さまよえる魂を救うべく、(あえて)高いところから低いところへと降りてゆく存在であると思います。 なので、それぞれの位というものが示されたりしているようです。 必ずしも意識の高さとの整合性はないようにも思われます。 つまり、位が低いとされる仏が極めて高いレベルの意識体であるということがままあるようです。 位というのはどうも、どのレベルの魂を救うかということに関係しているように思われます。 また、本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)(→wiki)というのがありますが、どうも、逆のケースはあるように思われます。 大日如来=天照大神というのは、けっこうわかりやすいところではありますけど。 私の守護神の素盞嗚尊(すさのおのみこと)様も、仏としても顕現されているように感じます。 牛頭天王というのは有名ですけど、それだけでもないように思います。 (来歴など、基本的なところに間違いがあるような気がします・・・) 不動明王?とも思いますが、違う仏かもしれません。 素盞嗚尊様の役割から考えると、上にも下にもいける存在、ニュートラルな存在というのがふさわしいような気がします。 閻魔大王というのもありえるかもしれません。 こう書くと、古神道が上で仏教が下のように思われるかもしれませんが、私は決してそのようには思っていません。 本地垂迹も、これは逆であるとする神本仏迹も、低い次元に神様、仏様を貶めるための論争でしかないと思います。 時系列的に言うならば、神本仏迹が正解でしょうが、だから古神道がエライという議論には与しません。 単に、古神道で天照大神として顕現した意識体が、仏教では大日如来としても顕現してる、ぐらいに捉えています。 古神道や仏教の成立よりも、神様(といわれる存在)の誕生のほうがはるかに古いということを考えれば、すぐにわかることと思いますけど。 古神道や仏教が生まれ、その宗教にあわせて神様仏様が生まれるわけではないのです。 そのあたりのことをほったらかした議論に意味があるとは思えませんので。 表題の「仏の座」というのは、なぜか、こうあるべきと思ってこうしました。 「座」の意味はまだよくわかりません。 語呂かもしれませんけど・・・。 役割に応じて座る「座」というニュアンスかもしれません。 クリアになったら加筆修正しようと思っています。 (20.03.06) |
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