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| 降魔の利剣 | |
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「ゴウマノリケン」と読むそうだ。 悪しきものを祓うとともに、人の心の裡の「魔」を切ることも出来るらしい。 日本書紀に出てくる三種の神器、勾玉・やたの鏡・草薙の剣は、天皇のみが持つものだが、 ある程度以上の霊格に達すると、それに相当するものが神から下されるようだ。 ある霊覚者と話をした時、修行すれば誰でももらえるものであり、私にもチャンスがあるといわれた。 私もどうやらもらったように思うのだ。 しかし、自慢ではないが、霊格は絶対に高くないはず。 なぜもらえたのか、というか、そう感じたのかよくわからない。 ある夜、4時過ぎに目が覚めてしまった。 このところ、「試し」のような夢を見ることが多かった。 その夜もそんな内容の夢を見て、一気に目が覚めてしまった。 そんな時は、再び寝入ろうとしても絶対に不可能であるのが、これまでの経験からわかっていたので、起き出して早い(早過ぎる?)朝食を摂った。 新聞を読みきってしまうと、日課にしている朝の散歩にはまだ時間がありすぎ、というのも、太陽の日を浴びるのが目的であるので、夜明けまでには2時間以上もあり、何もすることがなく、ただボーッとしていた。 台所にしつらえられた神棚を見ながら、何ともなく過ごしているうちに、いつの間にか霊的な回路が開いたのだろうか。 なぜか、降魔の利剣のことを考えていた。 両手のひらが暖かくなる。 霊的な力が発現されたように感じた。 すると、刀身が光り輝く剣のイメージが、漠然とではあるが脳裏に浮かぶ。 私は日本刀のようなものかと考えたが、どうも違うようだ。 両手剣か片手剣かと考える。 どうやらどちらにも使えるらしい。 それどころか、刀身の長さも自由に変わるようだ。 全ての答えは、漠然と脳裏に浮かぶ。 なぜかは全くわからない。 柄の拵えは金色で彩られているように思えた。 具体的な装飾や作りはわからない。 重さはない。 霊的な剣だからだ。 そんな風に考えるうち、その剣が私の右手に委ねられた感覚があった。 といっても重さはなく、軽い暖かみが手のひらに感じられただけなのであるが。 しかし、私には与えられたという認識があった。 これは、あの霊覚者が言っていた三種の神器か、と思うと、どうも肯定的な感覚が返ってくる。 次は勾玉かと考える。 左手に、水晶玉のような珠が載った感覚がある。 私が、それがいいと考えたから、特に水晶玉が与えられたようだ。 そして鏡。 なぜか、首にひもがかけられた感覚がある。 ひもの先には、八角形の鏡が。 私の胸の辺りに吊るされている感覚があった。 鏡には縁取りがなされているようだ。 これも具体的にはわからない。 とまれ、これで三種の神器が完成したということになる。 三種の神器が与えられた驚きから立ち直ると、その働きに興味が移った。 降魔の利剣について考える。 「正しくは、ゴウマノリケンと読む。」 と、声なき声が脳裏に浮かぶ。 声なき声のようなイメージは続く。 悪しきものを祓うとともに、人の中の魔を祓う働きがあるという。 刀身の長さも幅も、自由に変わるらしい。 まるで如意棒みたいじゃん、それか、ガンダムのビームサーベル? 不謹慎な考えが浮かぶ。 利剣の「利」は、(形状などが)自由に使えるということと、いろんな働きがあるということからつけられているようだ。 そして重さ0。 腕力がなくても自由に振れそうだ。 しかしながら、その剣の力は使う者の力に比例するようだ。 続いて珠。 水晶玉の如く、遠くを見渡す力があるらしい。 千里眼のような、あるいは天眼通のような。 鏡。 胸に吊るされているということに大きな意味があるようだ。 防御のための霊物のように思われた。 後になって考えると、どうやら霊的な攻撃から心臓を守るという意味合いがあるように思われる。 そこが肉の身を持つ人間の、霊的な急所のようだ。 この体験から数日経つが、生活が劇的に変わったということはない。 幻のようにも思えるが、しかし、現実のことであることを私はわかっている。 でも、どうも今の私はこれらの神器を自由に使えるのではないようだ。 あるレベルに達しないと自由に使うのは叶わないということだろうか。 全く謎である。 かなり日が経ってから、剣については1度実際に使用した。 かなり霊験あらたかであった。 と、誇らしげに書いたものではあるが、いろいろ考えた挙句、手放すことにした。 というか、あるかどうか、使えるかどうかということにはこだわらないということにした。 それがあるということが自己顕示にもなるし、比較優位を誇示することにもなる。 スピリチュアル系の人間は、セルフブランディングが好きである。 曰く私は何々ができる、私は何々を知っている、私しか云々・・・。 そうやって自分を大きく見せて、自分の企図するモノや考え方を売り込む人たち・・・。 それらに胡散臭さを感じながら自分を振り返ると、それと同じ轍を私も踏んでいるように感じ、それを持つことにこだわる自分に疑問を感じた。 また、フラフラ病が完治しないのに、剣も神器もないもんだ、というのもあるし。 そんなことを考えていると、これらをもらった、持っていると誇ることがバカらしくなった。 なので、これらの霊物については、手放すというかこだわらないということにした。 別になくても少林寺拳法で(霊的パワーを意識すれば)肉体を武器にして戦えるし、般若心経や祝詞で対抗できるし。 あたかも武道家が徒手格闘から始めて武器術に進み、さらに徒手に戻ったような気もするけど・・・。 霊的意識を高めていくと、こういうことがあったというのは、参考になると思うので、この項は残しておくことにする。 (最終更新 20.05.01) |
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